2022年


ーーーー3/1−−−−  娯楽の読書


 
若い頃は人並みに読書をしたが、歳を重ねるにつれて本を読まなくなった。本が嫌いになったと言うわけでもない。面倒になったのである。

 私の場合、読書に当てる時間帯は限られている。夜は酒を飲むので、本を読んでも頭に入らず、無意味である。日中は仕事をしているから、読む時間が無い。仕事の合間に、あるいは食事の後に、少々の時間をさいて読書に当てるなどという切り替えは、苦手な自分である。

 早起きをして、朝食前に読書を試みた事もあった。特に記憶に残っているものは、ドストエフスキーの「罪と罰」。早起きと言っても1時間程度であるから、ページはなかなか進まない。読み終えるのに3ヶ月ほどかかったか。こういうスローペースだと、先に読んだ部分を忘れてしまう。本の内容もああいうものだから、だんだんわけが分からなくなってしまった。ようやく読み終わった時に感じたのは、感動でも満足感でも無く、徒労感だった。

 その後もたまに、思い出したように本を手にすることがあったが、すぐに面倒になった。活字嫌いなのではないかと自分を疑うこともあった。そう言えば、新聞もとってはいるが、あまり読まない。

 カミさんは読書が好きで、よく本を手にする。ジャンルは推理小説などが多かったようだが、最近は時代物も読むようになった。池波正太郎の剣豪小説などである。私も過去の一時期、剣豪小説に触れたことがあった。あれはあれで面白いということで、カミさんと意見の一致をみた。

 それやこれやで、カミさんが勧める時代物を、私も読むようになった。ほんの3週間前くらいからである。この変化は自分でも意外であった。コロナ禍で外出を手控え、気晴らし息抜きもままならない状況が続いているので、読書に娯楽を求めたのか。自分でも定かでない。注文仕事が減って、比較的時間に余裕が出来た事も一因かも知れない。ともかく、ちょっとした合間を使って本を読むようになった。

 時代物などは、単なる娯楽作品である。でも、そう割り切ってしまえば、それなりに面白い。少なくとも、読んでいて退屈はしない。その道で一流と言われる人たちが著しているのだから、ストーリー展開は巧みだし、文章も練られている。思わず引き込まれることもあるし、胸にグッとくることもある。登場人物の立ち居振る舞いや喋り口を、知らずの内に真似している自分を感じ、照れ臭くなったりもする。

 この娯楽読書が、いつまで続くかは分からない。また面倒になって、止めてしまうかも知れない。それでも今が楽しければそれで良い。カミさんのお下がりだから、放っても損は無い。自宅で居ながらにして出来る娯楽だから、時間以外に消費するものも無い。構えずに、軽い気持ちで楽しめば良いのである。





ーーー3/8−−−  紛らわしいトイレ


 
昨年のことだが、用事で関西へ行ったついでに、大阪の長女の家に寄った。たまたま孫が実験教室に行く日だったので、参観することにした。会場は千里中央の巨大なショッピングセンター内にある、カルチャーセンターのフロアー。実験教室の参観は楽しかったのだが、今日のテーマはそれではない。

 教室が終わって店内をブラブラしたのだが、トイレに行きたくなった。娘からトイレの場所を聞いて、一人でそちらへ向かった。目的の場所とおぼしき区画に着いたが、どうも勝手が分からない。トイレの表示がはっきりしないのである。キョロキョロしながら進んだら、横並びの洗面台の前に女性たちがいて、化粧を直している場面に出くわした。その奥には、個室のドアが並んでいた。間違えて女子トイレに入ってしまったのである。慌てて逆戻りをしたのは言うまでもないが、「キャー!」とか「痴漢よ!」などと叫ばれなかったのは幸いだった。それにしても、女子トイレに立ち入ったことなど、人生初めてのことであった。

 仕切り直して男子トイレを探したら、反対側にあった。それで用は済んだのだが、腹立たしい気持ちが残った。ジェントルマンがレディーのトイレに立ち入ってしまうなど、恥ずかしい事である。何故こんなことが起きたのか。理由は明瞭、トイレの表示が分かり難かったからである。

 売り場で待っていた家族のところへ戻り、この話をしたら、このショッピングセンターを使い慣れている長女が「そうなのよ、あのトイレ、分かり難いでしょう?」と言った。そして分かり難くなっている理由について、彼女なりの見解を述べた。

 一般的に男子トイレと女子トイレの区別は、シンボルマークで表示する。人物を模したマークの色が、黒や青であれば男性用、赤やオレンジであれば女性用。さらにマークの形は、男性用がスーツ姿のシルエット、女性用がスカート姿のシルエットというのがこれまで普通だった。ところが、近ごろは世の中に難しい主張が多くなった。色で違いを付けるのは差別だとか、女性はスカートと決めつけるのは偏見だとかの主張である。このショッピングセンターのトイレは、そのような世の流れを反映して、新しいスタイルの表示にした。それが、旧来の表示に慣れ親しんだ私のような者には分かり難く、誤解を招くことになったのだと。

 よく耳にする言葉だが、「暮らし難い世の中」になったものである。世の中の進化のためには、悪かった制度は是正されるべきであるが、中には偏り、行き過ぎ、を感じさせるものもある。性急な変化の積み重ねで、世の中が却って安定性を欠くようになってしまったら、困る。





ーーー3/15−−−  飯田の思い出


 NHKの夕方のニュース番組を観ると、ニュースの合間に、定点カメラのライブ映像が現れる。長野駅前、諏訪湖、松本城、飯田市街のいずれかの映像が、ランダムに短い時間だけ映る。その飯田市街の夜景を観ると、懐かしい思い出が蘇り、時空を超えた感慨に浸ってしまう。

 飯田市に特別の関わりがあるわけではない。一時期住んでいたというようなことも無い。親しい知り合いがいて、何度も足を運んだ、ということも無い。唯一の接点は、2014年と2015年に、市内のカフェ・ギャラリーで、それぞれ一週間程度の展示会を行っただけである。それについては2014年3月25日の記事と、2015年12月15日の記事を参照願いたい。

 2014年は、単身飯田に滞在して、毎日展示会場に通った。宿泊は、市内の繁華街にある格安の民宿。作業員などが泊まる宿である。食事付きなのでそこに決めた。展示会場は市の中心部から少し離れた場所にあり、宿から歩いて30分ほどの距離だった。軽トラで飯田に入っていたので、滞在中に車で移動することも出来たのだが、運動不足になるのを心配して、毎日徒歩で往復した。

 初めての土地を歩いて回るというのは、なかなか楽しいものである。朝早めに宿を出て、飯田城跡を散策したこともあった。飯田市は河岸段丘に形成された都市ということで、地形は起伏に富んでいる。坂道を登り切ると急に別の景色が開けたりして、興味をそそられた。段丘の縁のような所に立つと、市街地が目の下に広がって見えて、壮観だった。時間に縛られず、目的も無く、気ままに歩くだけと言うのは、普段は経験することも少ない。それを、図らずも見知らぬ土地で、毎日繰り返したのである。

 2015年は、カミさんを伴って滞在した。この時は、国道沿いの商業地にあったビジネスホテルに泊まった。これも格安の宿で、部屋にテレビすら無かった。食事は、コンビニで買ったパンやカップ麺で済ませた。傍目にはみじめと取られそうな生活だが、たまにはこういう非日常も面白い。寒い時期だったので、会場へは車で通った。終わりが近づいた頃には、だいぶ地理に明るくなっていた。

 いずれも短期間の滞在ではあったが、そんな体験が心に残っていて、懐かしく感じるのだろう。それともう一つは、展示会場のカフェ・ギャラリーでの出来事や人々との触れ合い。こちらは、思い出としては漠然としたものだが、飯田という土地に対して、心温まるイメージを残すものであった。

 それやこれやで、飯田の景色をテレビで見ると、しばし昔日の旅情が蘇るのである。




ーーー3/22−−− 学習塾


 
孫娘がこの4月で小学2年生になる。住居は大阪の市街地。まだ早いと思うが、そのうち学習塾などに通うようになるのだろう。都会では、小学生から塾に行くのは、当たり前の事のようである。

 我が家の子供たちは、安曇野市の小中学校に通ったが、塾などの学習産業のお世話になったことは一度も無い。田舎だからそれも当然と思っていたが、実際にはこの地にも塾があり、利用している家庭があるらしい。都会と比べれば、熱し方に差があるとは思うが、学校の勉強だけでは安心できず、子供にプラスアルファの勉強をさせたがる親御さんが、こんな田舎にもいるのである。

 だいぶ前に聞いた話だが、都会では学習産業、もっとはっきり言えば受験産業を利用する事が、子弟教育のベースになっているとか。学校の授業も、暗黙の裡にそれを前提にしたものになっているとの話もあった。そんな事が?という気もしたが、そのような傾向があると考えるのも、あながち的外れでは無いかも知れない。大方の生徒が塾に通っているなら、そうでない生徒がメインルートから外れてしまい、いくらかの不利を蒙るということは、もはや致し方の無いところか。

 この地では、教育は学校でという気風がまだ残っているように思う。そのようなのんびりとした環境で子供たちを育てた自分としては、小学生から受験競争に曝される都会の子らは可愛そうな気がする。その一方で、そういう世の流れは仕方ないのかとも思う。実を申せば、私も東京都中野区で小学生だった頃、塾に通わされていた。中学に上がってからは、家庭教師にもついていた。親が注ぎこんだそれらの投資に効果があったかどうかは疑問だが、その当時ですら、学習産業のご厄介になるのは、大都会ではごく普通の事だったのである。

 ところで、我が家の長女は比較的真面目な生徒だったが、その下の長男、次女は、だいぶ緩んでいた。特に次女は、宿題などまともにやろうとせず、学友から「よくそれで平気だね」などと言われるくらいだった。

 その次女も結婚した。婿殿は、同じ会社の同期である。横浜市の出身で、小さいころから学習塾に通った、お勉強少年だったそうである。そんな話を聞いて、冗談半分に「ずいぶん勉学に対する姿勢に差があったようだね」と言ったら、次女はあっけらかんと、「でも同じ会社に入れたんだからいいじゃない」と言った。





ーーー3/29−−− 百人一首の全てを暗唱


 
およそ6年前から、百人一首を憶えることを、日常の趣味としている。別にかるた大会に出るというような目標はない。ただ単に暗記をするだけの、個人的な、ひそやかな趣味である。

 初めは、上の句を見て下の句を言い当てるということからスタートした。それが一応出来るようになってからは、下の句から上の句を導くことを、新たな目標にした。こう書けば簡単だが、それぞれを習得するまでには、かなりの月日がかかった。暗記カードを使ったり、トイレの壁に苦手な歌を張り出したりと、傍から見れば「何の目的も無しによくやるわ」と言われそうな、私なりの努力の日々であった。

 参考書は、たまたま我が家にあった「講談社カルチャーブックス 絵解き百人一首」という本であった。歌の意味とか、難しい言葉使いなどは、この本の解説を読んで理解した。繰り返し本を開いてはページをめくったので、次第に剥がれて脱落するページが出て来た。この本に不満があったわけでは無いが、昨年になって新たな参考書を購入した。

 「小学生おもしろ学習シリーズ まんが百人一首大辞典」という本である。中身の構成は前述の本と大差無いが、細かい所で別なる趣向が凝らされていて、これも楽しく使っている。

 これら二冊の本に加え、たまにインターネットの関連サイトを見たりする。百人一首に関わるサイトは、山ほどある。その多くは、百人一首愛好家が投稿しているものと思われる。中にはとても配慮が行き届いた、役に立つサイトもある。それらを見ているうちに、ある事に気が付いた。自分の取り組みに関して、一つの欠陥とも言える事を発見したのである。

 それは、これまでの憶え方では100首全てを暗唱することができないという欠陥である。上の句から下の句を当てる、逆に下の句から上の句を当てるという事は出来るようになった。それをもって100首全てを暗記したと悦に入っていたのだが、それでは100首を順に全て暗唱しろと言われた場合に、行き詰ってしまう。例えば、「あ」で始まる歌から順番に思い出そうとしても、該当する歌がいくつあるかも知らないようでは、はなはだ覚束ない。この有様では、100首を全て憶えたと言うのもおこがましいと、気付いたのである。

 そこで新たな取り組みとして、一枚札から順に覚えることにした。一枚札とは、出だしの一字がその一首しかないものを言い、「むすめふさほせ」の7首ある。二枚札は、2首ずつあるもので、「うつしもゆ」のそれぞれの字で始まる5種類10首ある。このようにして順に八枚札まであり、飛んで最後は「あ」の十六枚札となる。これらを全て暗記すれば、100首を順番に諳んじることができるはずだ。

 いざこの試みをスタートしたら、これまで体得してきた事の底の浅さが露呈した。先頭の一字を見ても、歌が浮かばないのである。例えば、「た」で始まる歌は6首あるが、せいぜい3つくらいしか思い出せない。百人一首は、最初の文字が27種類ある。つまり平均すれば一文字当り3〜4首の歌がある。それらを全て瞬時に思い出すのは、容易な事ではないと、6年間を経てあらためて感じたのであった。

 百人一首の覚え方は、基本的にゴロ合わせである。前述の「むすめふさほせ」の如くである。一般的に良く使われているものもあるし、個人的に使い易いように工夫することもある。ともあれ、どのような方法で覚えるかは、最終的には自分で決めなければならない。他人が見たら笑ってしまうような、変なゴロ合わせや、こじつけのような関連付けであっても、自分にとって憶えやすく忘れ難ければ、それで良いだろう。

 3ヶ月くらい奮闘して、ようやく十六枚札まで覚えた。かくして100首全てを順に暗唱できるようになった。しかし、そのパフォーマンスの出番は、残りの生涯を通じて、おそらく一度も訪れないであろう。